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2016/04/26

春だ!パリ近郊のパークに行ってみよう!

 春到来。パリにも花冷えがあるのだろうか?
今週は雨がちで、気温も下がったパリだが、暖かった先週、晴れ間を見つけて、パリ近郊の広い公園を訪れてみた。
八重桜、チューリップ、水仙など、さまざまな花があふれる2016年4月のパリ近郊のパークを写真で紹介する。

1、バガテル公園 (Parc de Bagatelle、ブローニュ)
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 バラの品評会で知られているが、初春でも、秋でも、四季折々にさまざまな花が咲き、クジャクが羽を広げ、楽しめる公園。
 ここは、アルトワ伯爵(マリー・アントワネット義兄)とマリー・アントワネット(1755年-1793年)が賭けをして、1777年に、たった64日間で、城と庭園が建設されたのが始まりだそう。設計図は一夜で描かれ、900人が建設工事に動員されたとか。庭園はアングロ=シノワ様式で、フランス革命前夜に誕生し、激動の時代を迎えたことになる。

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 イギリス人貴族の父子二代の所有時代を経て、20世紀の初頭、所有者であったリチャード・ウォレス(Sir Richard Wallace,1818-1890)の死後の一時期、分売の危機に陥るが、1904年パリ市が購入、都市公園として再生している。
 1907年以来、バガテルのバラ園で、バラ新品種の国際品評会が開催され、6月にバラを見るため訪れる観光客、行楽客も多い。バガテル・バラ園には、1200種におよぶ約10000本のバラが植えられている。

 公共交通機関で行く場合、北駅発着の43番バスか、ポルト・マイヨー発着の244番バスで。2016年6月2日から11月1日まで入場料6.00 €。冬から春にかけては無料。イベントで入場料が変わったり、入場制限がある場合もある。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Parc_de_Bagatelle
http://equipement.paris.fr/parc-de-bagatelle-1808

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2、ソー公園(Parc de Sceaux)

 4月だ、花見に、ソー公園に行こう!公園のほぼ中央に100本以上の八重桜が植えられた場所があり、今月の第三日曜、ほぼ満開になっていた。パリや周辺在住の日本人が花見に集まるばかりでなく、国籍問わずたくさんの人でにぎわっている。城の周りでは、正装で結婚の姿を撮影するカップルも多かった。
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 フランスのパリの南郊外ソー(Sceaux、オー=ド=セーヌ県)にある公園。造園家ル・ノートルによって設計された。200ヘクタールの広さを持つ。公園の運河沿いを歩くだけで気持ちのよい1時間-2時間程度の散歩コースになる。

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 1661年にパリの公証人によって小さな城が建設されたのが始まり。1670年に、国王ルイ14世(1638-1715)の宰相コルベール(1619-1683)が、ここを購入。造園家ル・ノートル(1613-1700)を雇い、豪華な城と庭園を築かせた。コルベールの息子のセニェリー侯爵(1651-1690)が跡を継ぎ、領地を拡大、噴水や滝などが点在する美しい景観を造らせた。建築家ジュール・アルドゥアン=マンサール(1646-1708)の設計によるオランジュリーも建てられた。

 さまざまな所有者の手を経て1923年、セーヌ県がこの地所を購入。建物と彫刻は歴史的建造物に指定され、公園全体が一般公開されるようになった。

RERのB線で、RER B線でSceaux(ソー)またはParc de Sceaux(パーク・ド・ソー)または La Croix-de-Berny(クロワ・ド・ベルニ)またはBourg-la-Reine(ブール・ラ・レーヌ)下車。いずれも駅から公園まで徒歩5分-10分程度。La Croix-de-Bernyで下車するのが公園までの道は分かりやすいと個人的に思うが、公園敷地が広大なので、ここから博物館にもなっている城は遠い。入場無料。

http://domaine-de-sceaux.hauts-de-seine.fr/

ソー公園



3、サン・クルー公園(Parc de Saint-Cloud)
 同じく造園家ル・ノートルの設計による公園。古城は1870年の火災で失われてしまったが、460ヘクタールの庭園は、様式美を備え、パリ近郊でも屈指の美しさを誇る。遠くに小さくエッフェル塔も見える。

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 サン・クルー城と庭園は、1658年に、フランス国王ルイ14世の弟であるオルレアン公フィリップ1世がつくった。1785年、ルイ16世は王妃マリー・アントワネットに頼まれて城を手に入れた。19世紀を通じて、城はフランス史の数々の重要な舞台となってきた。

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 ナポレオン・ボナパルトは、ブリュメールのクーデターをここで起こし、城をお気に入りの住居とした。1810年、ナポレオンとマリー・ルイーズ・ドートリッシュの法律婚が城で行われた。1830年7月、シャルル10世は、憲章の廃止を盛り込んだサン・クルー布告に城内で署名した。これをきっかけに彼は王位を追われた。

 1870年、サン=クルー城内にて、プロイセンへの宣戦布告が行われる会議が開催された。同年10月、パリ包囲戦後にプロイセン軍が城を占領した。プロイセン軍は城の火事を放置し、城は焼失した。

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 70番バス終点。またはサン・ラザール駅L線でSaint Cloud(サン・クルー)下車。車で行った場合、迷うことはないと思うが、徒歩の場合お奨めの小さな入り口二か所あるのだが、入り口が分かりづらい。詳しい地図持参を勧める。


https://fr.wikipedia.org/wiki/Parc_de_Saint-Cloud

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4、パリ花公園(Parc floral de Paris、ヴァンセンヌ)
 ここにも八重桜が10本ほどあり、満開を迎えていた。水仙も綺麗に咲き誇り、奥にはチューリップがたくさん咲き誇るスペースも。花でたくさんの公園だ。

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 パリ市が、軍事施設ばかりに占められていた東のヴァンセンヌの森を西のブローニュの森のように、市民に親しめる森にしようと1969年に開館した。31ヘクタールの敷地を持つ。波の形の石畳、レストランの屋根の形など1964年の東京オリンピック時代の日本ブームに影響を受け丹下健三氏の東京の国立代々木競技場を連想させる造りになっているそう。28棟の離れの建物は、桂離宮をイメージしたという。とはいえ、wikipediaフランス語版を読むまで、ここを訪れても、私自身は日本の影響を感じていなかった。

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 地下鉄メトロ1番線で最終停車駅 Château de Vincennes(シャトー・ド・ヴァンセンヌ)で下車。徒歩10分。北駅発着の46番バスなら公園入口前に停留所がある。冬の間から5月までは無料。6月から9月末まで入場料大人6 €。夏の間は入場料さえ払えばコンサートを場内で楽しめることも。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Parc_floral_de_Paris

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追記
バンセンヌ1
この写真は、花公園内の写真ではなく、地下鉄駅から花公園まで歩く道で、八重桜が満開に。ヴァンセンヌ城を背景にした八重桜を撮影しました。
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2016/04/22

6月5日まで、パリのカルティエ現代美術財団で森山大道氏の写真展

 6月5日まで、パリのカルティエ現代美術財団で森山大道氏の写真展「DAIDO TOKYO」が開催されている。先月、この展覧会に足を運んでみた。
 ガラス張りの展示室に展示されたカラーの組み写真は、会場にもマッチして、率直に、ただただカッコよかった。

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 恥ずかしながら、私は、森山氏と似たようなコンセプトで、組み写真の作品を作って、パリ大学の写真科への入学を試みたことがあった。パリで活躍するフランス人写真家の友人にアドバイスを受け、2枚組、3枚組にしたのだが、ストーリーではなく、形や色の類似を探した。タイトルやコメントも頑張ってフランス語でカッコつけて詩的にしてみた。残念ながら、入学がかなわなかったのだけど…(恥)。

 こういう展覧会を見たりすると、 「私も撮れるかも?」とカン違いするのですが、やっぱり何かが違う。写真そのものもすごいし、センスなのか、本気で追求しつづけた年数なのか。。。

 ガラス張りの部屋のカラー写真の展示は、やはり、横や縦に並べられた写真同士の色や形の対話がある。

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 月のクレーターと廃屋の壁。夜空の色と捨てられた冷蔵庫の色がそっくりだ。

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 電線の写真は、白い背景に色とりどりの曲線が、現代アートの絵画作品のようだ。そして、色とりどりのネオンと色とりどりの電線の写真の組合せ。この電気配線があのネオンの光を生み出しているのかな、と想像したり。
 組み写真の共通項を探し、何を表現しようとしたのか、考えながら、鑑賞するのがとても楽しかった。

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 「犬と網タイツ」と名づけられたモノクロ写真の多面ディスプレーでの展示もあった。画面が切り替わりながらたくさんの写真を見ることができる。こちらは都会の路地裏の雑音入りで現代都市の喧騒へ引きこまれた。
フランスの番組Arteでのこの展覧会の紹介のビデオが見れます↓。
http://info.arte.tv/fr/photo-le-tokyo-de-daido-moriyama

(注:今回の4枚の写真は、展覧会のガラス張りの部屋の森山大道氏のカラー写真の作品を撮ったものです。)

 ちなみに、荒木経惟さんのフランス初の回顧展も、パリのギメ美術館で開催されている。9月5日まで。
http://www.guimet.fr/…/a…/33-francais/expositions/1273-araki

2016/04/21

パリ・16区でアルベール・マルケ展        穏やかな風景画 フォーブ時代の裸婦も必見

 「アルベール・マルケ」展が、8月21日まで、パリ・16区、パリ市立近代美術館で開催中である。私は、今月、学芸員のソフィー・クレスプさんの説明を聞きながら、展覧会を鑑賞する機会を得た。

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市立近代美術館入り口に飾られたポスター

 アルベール・マルケ(Albert Marquet, 1875年₋1947年)は、フォーヴィスム(野獣派)に分類される19世紀~20世紀のフランスの画家である。

 マルケは、1875年、ボルドーのつつましい家庭に生まれた。1893年、パリの装飾美術学校に学び、続いてエコール・デ・ボザール(官立美術学校)でギュスターヴ・モローの指導を受ける。ここで同窓生の6歳年上のアンリ・マティス(Henri Matisse, 1869年-1954年)、ルオーらと知り合った。特にマティスとは親密だった。

 マルケは早い時期に成功に恵まれ、多くのギャラリーから注文を受けた。後にフォーヴィスム(野獣派)と呼ばれる画家グループに加わるが、マルケの作風は、グレーや薄い青を基調とした落ち着いた色彩と穏やかなタッチで、港の風景などを描いた。また、パリ市内のセーヌ河が見渡せるアトリエから、パリの街の風景をたくさん描いている。

 ノルマンディーやアルジェリアを含め各地へ旅したが、こうした穏やかな画風が変わることはなかった。アルジェリアでもエキゾチズムには関心がなく、都市の風景や近代的な港が絵の主題であった。

 国立西洋美術館やポーラ美術館など日本の美術館もマルケの作品を相当数所蔵している。また、パリやフランス各地の美術館でも、マルケの作品を目にすることがあり、私の中のマルケについてのイメージは、グレーを基調とした、洗練された風景画家であった。

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展覧会で私が気に入った作品(現在、年代、タイトルなど調査中。マルケには同じような構図の同じような色彩のパリ・セーヌ河岸の作品がたくさんあります)。雨に濡れた路上、動きのある車の表現が素晴らしいと思う。パリ・セーヌ河沿いの自宅アトリエから描いた風景画がたくさん展示されている。

出典http://kikanboyamagami.com/index.php?%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%81%AE%E7%B5%B5


オンフルール港
アルベール・マルケ,オンフルール,1911,65 x 81 cm,モスクワ・プーシキン美術館
出典http://www.haizara.net/~shimirin/nuc/OoazaHyo.php?itemid=2189

 展覧会でも、こうしたグレーをベースとした風景画を見ることができる。一方で、フォービズムに影響を受けたとみられる鮮やかな色彩の作品や夜景の作品も目を引いた。

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アルベール・マルケ,トゥルービルのポスター,1906年,65.1 x 81.3 cm,ワシントン・ナショナル・ギャラリー
出典http://www.mam.paris.fr/fr/expositions/exposition-albert-marquet-0

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アルベール・マルケ,ポン・ヌフ夜景,1938年
出典http://gakakeikaku.blog71.fc2.com/blog-entry-15.html

 今回の展覧会で、マルケについての発見は二つあった。一つは、ソフィ―・クレプスさんの話で初めて知ったのだが、マルケは、生涯に渡って左派であった。クレプスさんによると、当時旧ソ連を旅したフランスの著名人は、哲学者のジャンポール・サルトルとマルケだそうだ。
 Wikipédiaのフランス語版によると、1938年には彼はナチズムに対抗する団体に参加し、ナチズム反対を表明した。1940年、それに対する報復を恐れ、作品を避難させ、アルジェリアへ。彼のアパートは家宅捜索された。ドイツ軍占領下のフランスで、マルケは、作品のサロンへの出展を拒否した。1942年、アルジェリアで、レジスタンス運動のための競売を手掛けた。1943年にド・ゴール大統領に彼の作品の一つを贈った。
 1945年に彼は海軍の公的な画家になった。一方、美術学校のアカデミー教授職の提案に対し、マルケは断るだけでなく、アカデミーの解体及び美術学校の解体を要請した。レジオンドヌール勲章授与も拒否した。


 もう一つの発見は、この展覧会の展示室の一番最初の部屋にあった、彼の裸婦作品だった。初期に、マティスのフォービズムの影響下で、描いたものだ。これらの数点の作品は素晴らしかった。1920年結婚したあと、彼は裸婦を描くのを辞めたようだ。彼がこの道を続けていたなら、また別の形で後世に名を遺しただろう、と思った。

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アルベール・マルケ,2人の女友達,1912年,油彩,60×92cm、ブザンソン美術博物館
 出典«connaissance des arts» avril 2016,vol.747

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アルベール・マルケ,野獣派の裸婦(Nu dit fauve) 1898年,73×50cm ボルドー美術館
出典«connaissance des arts» avril 2016,vol.747

もっと知りたい人のために
日本語で書かれたマルケを紹介した「浪速高校美術部OBのサイト」
http://www.geocities.jp/nack735/marquet.html
美術館の公式サイト↓フランス語ですが、15点の展示作品を見ることができます。
http://www.mam.paris.fr/fr/expositions/exposition-albert-marquet-0
参考文献
Marquet,le maitre des demi-teintes in «connaissance des arts» avril 2016,vol.747,P72-77
(展覧会は撮影禁止だったため、出典を明示して、インターネットや雑誌で見た作品を探した。また、このブログで既に紹介したフランスの町トゥルービル、オンフルールをマルケが描いた作品も選んでいる。)
2016/04/20

オルセー美術館にて税関吏ルソー展                詩的な虚構のジャングルに息をのむ        

 コート・ダジュールの村の紹介を始めるつもりだったのだが、最近、ルソー、マルケ、ユベール・ロベールなどパリで開催中の企画展に行ってきた。まずは、忘れないうちに、これらの美術展について書いておこうと思う。

 7月17日までパリ・オルセー美術館にて開催中のアンリ・ルソー展。初めに断っておくが、今回書くのは、私の感想である。映画の筋を知らない方が、映画をより、楽しめるように、展覧会の中身も知らない方が楽しめる人もいるかもしれない。もし、今後、この展覧会に行く予定があるのなら、ネタばれを含んだ私の感想など、読まない方がいいのかもしれない。

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オルセー美術館内 ルソー展入り口



 アンリ・ルソー(Henri Rousseau、1844年₋1910年)は、19世紀から20世紀初めにかけてのフランスの素朴派の画家である。20数年間、パリ市の税関の職員を務め、仕事の余暇に絵を描いていた「日曜画家」であったことから「ル・ドゥアニエ」(税関吏)の通称で知られる。「戦争(1894年)」「蛇使いの女(1907年)」(いずれもオルセー美術館所蔵)などルソーの代表作のほとんどは、ルソーが税関を退職した後の50歳代に描かれた。

 2006年と2007年には、東京・世田谷美術館、愛知県美術館、島根県立美術館で「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢展」が開催された。私はその展示を見ている。パリの各地の美術館にルソーの作品が多数あり、それらも結構見たつもりだ。ポーラ美術館やブリヂストン美術館など、日本の美術館でもその作品の何点かを見ていたから、もうルソーはある程度知っているつもりだった。

 独学の画家だったためか、生前あまり評価されなかった画家だが、パブロ・ピカソ(1881年-1973年)は若いころからルソーを高く評価していた。私の目を引き付けたのが、ピカソが個人的にコレクションしていたという画家とその2番目の妻が一人ずつ描かれた小さな2枚の肖像画。パリ・ピカソ美術館所蔵のこれらの絵を見るたびに、どうして奥さんをもっときれいに描いてあげなかったのかと思う反面、画家やその妻の性格まで描かれている気がして、愉快な気持ちになる。

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アンリ・ルソー 上図 「ランプのそばの自画像」 1899年頃 24x19cm パリ、ピカソ美術館
下図 「ランプのそばの妻ノ肖像」 同上

出典 http://blogs.yahoo.co.jp/haru21012000/51992811.html

 今回の展示の特徴は、ルソーの作品だけでなく、ピカソ、ディエゴ・リベラ(Diego Rivera、1886 – 1957.メキシコの画家)オットー・ディクス(Otto Dix, 1891年 - 1969年、ドイツの画家)、フェルナンド・レジェ、マックス・エルンストなど、ルソーの影響を受けたとみられる画家の作品や、ルソーと関わりのあった画家の作品も同時に展示していることだ。途中までは、ルソーの絵を発見する代わりに、私は何人かの知らなかった画家の名をメモした。

 例えば、展示会場には、ルソーの絵の隣に、ポール・シニャック(Paul Signac,1863年-1935年)の作品があった。シニャックはルソーより若い画家だが、ルソーは、シニャックに助言を求めた。また、シニャックはルソーがアンデパンダン展に出品する際に助けている。この展覧会されているオルセー美術館所蔵のシニャックの作品は素晴らしいものだった。隣のルソーの絵の作品の前にはない、人だかりができていた。ルソーの展覧会なのに、と思うとちょっとさびしい。

 シニャックに比べると、ルソーの作品は、ちゃんとした遠近法でもないし、アマチュアっぽく見えてしまう。だが、力強い作品で、ルソーの作品だけ見ると、味わいのある作品だ。樹木や草花は葉の1枚1枚が几帳面に描かれた絵があって、ふと、サン・リスで見たセラフィーヌ・ルイ(1864₋1942)という独学の女性画家を思い出した。素朴派といわれるルソーの作風と、どこか似ている。
 私だったら、ルソーの隣にセラフィーヌを並べるかもしれないと思った。セラフィーヌは家政婦として働いていて、貧しく、絵を鑑賞する機会もないような画家だった。マルタン・プロヴォスト監督「セラフィーヌの庭」(2008年)という映画にもなっている。
https://fr.wikipedia.org/wiki/S%C3%A9raphine_de_Senlis

 この4年間、オルセー美術館のすべての企画展に脱帽してきた。「アルトーとゴッホ」「ボナール」「サド」「奇妙な天使」素晴らしい展示ばかりだった。ここに来て初めて、すでに日本でルソーの企画展を見たことがあり、パリでもいろんな美術館を見せてもらった私は、ルソー以外の画家についての発見はたくさんあるものの、ルソーを味わうという意味においては来ても来なくてもよかったのかな、と思いながら、先へ進んだ。
 展示室は10あるのだが、最後の2つの部屋9と10に進んだ。そして、言葉を失った。そこにはジャングルが広がっていた。想像上の奇妙なジャングル。

 ルソー自身はこのジャングルを、ナポレオン3世とともにメキシコ従軍した時の思い出をもとに描いたと称していたが、実際には彼は国外へ旅行したことはなく、パリ5区の植物園などに何度も足を運び、観察を重ね、スケッチしたさまざまな植物を組み合わせて、幻想的な風景を作り上げた。様々な書籍や雑誌の挿絵を参考にしており、例えば、1900年にギャラリー・ラファイエットによって出版された「動物の生態の楽しい200の挿絵」(deux cents illustrations amusants de la vie des animaux)という書籍などが知られている。ルソーのジャングルには、さまざまな色調の緑色を多用した独特の静謐な世界がある。

 最後の円形の部屋には、8枚のジャングルを描いた絵があるが、多くの絵画がアメリカ合衆国から来ていた。圧巻だ。この部屋を見るだけでも行く価値がある。ルソーのジャングルは、作り物のジャングル。ジャングルに一度も行ったことのないルソーが作り出した夢のジャングル。その奇妙な静謐な世界を味わうひとときの至福。

 フィガロというフランスの新聞によると、ニューヨーク近代美術館所蔵の「夢」も展示され、美術館史上最高ともいわれる保険金がかけられているそうだが、それに値する展示だ。

 ルソーは26枚のジャングルの絵を描いたと言われている。1891年に描かれた一点を除いて描いた期間は、1904年から1910年の短い期間に集中しているそうだ。(Cornelia Stabenow,Henri Rousseau1844-1910,Taschen,1991,P78)

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出典http://www.korega-art.com/rousseau/
「夢」(Le rêve) 1910年,204.5×298.5cm, ニューヨーク近代美術館

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飢えたライオン(Le lion, ayant faim,se jette sur l'antilope) 1905年,200×300cm,バーゼル美術館(スイス)


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アメリカひょうに襲われる馬,1910年,89×116cm,モスクワ・プーシキン美術館
出典 Cornelia Stabenow,Henri Rousseau1844-1910,Taschen,1991,p83

 今では、瞑想的であり、思想的でもあると高い評価を受けているルソーの作品。一方で、動物が描かれていることもあって、ルソーの絵は楽しく、子どもでも、興味を引く絵だ。両親とともにルソーの「夢」の絵のジャングルの中に隠れている動物を探している子がいた。「夢」のジャングルをスケッチしている子どももいた。

 ルソーが描いた絵の中の子どもたちはどこか冷たく不気味である。彼自身は幼い子供を亡くしたのだという。この不気味さがシュールで、独創的な絵画世界を創りあげている。シュルレアリスムを先取りしたとも言われる所以だと思う。
(展示会は撮影禁止)

そのほかの参考文献
「フィガロ」2016年3月4日付32ページ
Henri Rousseau roi de la jungle,Connaissance des arts,vol 747, Avril2016, p58₋59
ルソーの作品について詳しく解説していると思うブログです↓
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/sp_detail.php?id=sp00133
2016/04/01

天国に一番近い村 コート・ダジュール 鷹ノ巣村   私的ランキング

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エズ村の植物園からの眺め


 南フランス・コート・ダジュールには、切り立った崖や岩山の上に作られた通称、「鷹ノ巣村」と呼ばれる小さな村が散在する。
 
 コート・ダジュールといえば、日本人のほとんどがモナコやカンヌ映画祭などの華やかな姿を連想するかもしれないが、私にとってのコート・ダジュールの最たる魅力は、素朴で小さな「鷹ノ巣村」の方にある。

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ロクブリュンヌ村の路地 

 車が海沿いの道から遠く離れ、登って行くと、山や丘の頂に、城壁のような石壁や石造りの塔が現れ、家々が密集するように並んでいる。古来この地は、地中海から侵入してくるサラセン人など外敵の襲撃にさらされてきた。村の人たちは、険しい山中に村を作り、村の周りを城壁のように堅固な石積みで固めて村を守ってきた。

 今も、約百のこうした村が残っているという。村には、迷路のような細い路地や石畳の坂道や石段が連なっている。村の広場の小さな教会の鐘が時を告げる。モナコ近郊のエズと、多くの芸術家とのゆかりのあるサンポール・ド・ヴァンスが代表格として有名だ。

 私の個人的なコート・ダジュールの村ランキング(まだ行っていない村もあるため、これ以上に素敵な村も存在するかもしれないが)を書いておこう。

 こうした村は、せめて一泊して、日暮れや早朝も味わってみるべきなのだ。1位と2位の村は、結局泊まったことのある村である。
 一位に選んだサンポール・ド・ヴァンスは、山の上にありながら、このうえなく、お洒落な場所だ。村を出て、マーグ美術館まで歩けば、現代美術も楽しめる。また、車で10分くらいのヴァンスという村には、アンリ・マチスの晩年の集大成ともいわれるロザリオ礼拝堂もある。ただし、夏の昼間はサンポール・ド・ヴァンスの路地は、観光客であふれ返り、その魅力を感じるのは難しいかもしれない。私は、夏の日暮れの時間帯に路地をうろうろするのが堪らなく好きだ。村にホテルは多くない。

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サン・ポール・ド・ヴァンス村の夕暮れ


 資金力によっても、旅の印象は変わってしまう。私が3位にした村、エズが日本人には、もっとも知られた鷹ノ巣村かもしれない。上質のサービスを求めたい人には、エズの有名な二つのホテルのいずれかに宿泊すると、また違った感想になるのだろう。私は、両方のホテルのレストランで何度か食事はしたものの、エズには、泊ったことがない。

 このエズの植物園からの写真は植物園は入園料が5€程必要だったと記憶しているが、そこまで登らないと、この景色は見ることができない。この写真自体はいつかこうした他人に見せるなど、思いもせず、自分のために撮りためていたものの数枚だ。何度もエズに行っていて気付いたのだが、こういう写真がいつでも撮れるとも限らない。

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エズの植物園からの眺め

 例えば、夏の朝、エズに行ったところ、天気はいいのに、靄がかかって、海がほとんど見えないことがあった。山の大気より海の気温の方が高いと、海から水蒸気が出て、靄になってしまうそうだ。天気がいい日に泊まって、時間の変化とともに変わる村の表情を眺
めてこそ、本当のエズの魅力を感じることができるのだろう。

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エズ村のホテル、シャトー・エザのレストランにて。この日はせっかく眺めのいい場所を用意していただいたにもかかわらず、靄がかかっていた

 天候によって、印象は大きく左右される。サンタニエスは、レストランが二軒しかなく、たまたま行った日は、レストランが閉まっていて、村に一軒しかない食料品店で、買ったものを野外で食べていたら、標高が高い場所は、天気が悪くなることが多いせいか、急に雲に覆われ、雨が降り始めた。ちょうど日も暮れてきて、少し心細い気持ちになった。もし、天気が良ければ、360度の大パノラマが楽しめるはずである。

 あるいは、また出会いによっても旅は左右される。初めてこの村に行ったとき、2位に選んだロクブリュンヌ・カップ・マルタン村で、ほんの少し、村のご婦人方と言葉を交わしたことが、その後何度この村を訪れても、この村のいい印象につながっている気がする。この村には豪華なもの、便利なものはほとんどない。だが、ユーモアにあふれた人たちが生き生きと暮らしているのだ、と。

1、サンポール・ド・ヴァンス

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サンポール・ド・ヴァンスの村

2、ロクブリュンヌ

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ロクブリュンヌ村から海や山肌に張り付くように建てられた家々を見下ろす

3、エズ 標高427メートル

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エズ村の植物園から見下ろす紺碧の地中海と村の家々の屋根


4、ビオット

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ビオットはガラス工芸の町としても知られ、庶民的な感じが残っている。グラースに長く住み、ニースに住むフランス人女性も、お奨めの村。

5、ムージャン
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カンヌから車かバスで約30分の美食で知られる村ムージャン。アンドレ・ヴィレール写真美術館3階の窓からの眺め

6、サンタニェス 標高約800メートル
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マントンから車かバスで約40分。標高が高く、人里離れ、夏でも観光客も少ない


7、カーニュ
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ルノワール美術館の庭からカーニュの町を眺める


8、トウレット・シュルルー

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すみれの村として知られるトウレット・シュルルー



9、グルドン標高760m
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グルドンにあったレストラン

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名前が分からないが、写真を撮っていたコート・ダジュールの鷹ノ巣村

(写真転載を禁じます)